元善光寺と光前寺の御開帳(伊那谷の名刹を再訪)

2022/06/18

今回は伊那谷(長野県南部)の名刹として知られる元善光寺と光前寺を再訪しました。

 

元善光寺

飯田市にある元善光寺は、長野市の善光寺の前身となった寺院。別名は座光寺(坐光寺)。

山号は定額山(じょうがくさん)で、善光寺と同じ。

宗派は天台宗。長野の善光寺は無宗派なのですが実際は天台宗と浄土宗の僧侶によって管理されています。

 

善光寺とゆかりが深いため「善光寺だけでは片参り」と言われ、本家の善光寺と当寺をセットで参拝することが推奨されています。

なお、上田市の北向観音でも同様のことが言われていて、「片参り」を真に受けると広大な長野県をほぼ一周させられる*1羽目になります。

 

こちらが本堂。

御開帳なので御柱が立てられ、堂内の本尊と紐でつながれています。

 

この本堂は善光寺とはあまり似ておらず、強いていえば妻入という点くらいしか共通点がありません。数ある善光寺リスペクト系寺院*2の中でも再現度は低いと言わざるを得ません。

境内伽藍もあまり古いものではない様子で、歴史的・建築的な見どころはほぼないというのが率直な感想です。

この元善光寺は、善光寺との縁に価値を感じられるかどうかで、評価が分かれる名所だと思います。

 

今回は9年ぶりの再訪でした。

以前来たということだけは憶えているのに、伽藍の様子が思い出せないため、今回は御開帳に乗じて再訪しました。しかし、このような薄味な境内伽藍では、忘れてもしかたないと納得してしまいました・・・

それでも飯田市を代表する観光名所なので、団体客がぞくぞくと境内に入ってきます。関西風の訛りでしゃべっている人も多かったため、たぶん名古屋のほうから来たのでしょう。

 

光前寺

駒ケ根市の光前寺は2年ぶりの再訪となりました。

「光前寺も御開帳をやっている」という情報を元善光寺にて知り、帰り道の途中で立ち寄ってみました。

こちらは名実ともに信州随一の名刹。境内伽藍も、けちのつけようのない一級品です。

 

光前寺の本堂は大規模なこけら葺。

前述の元善光寺よりも善光寺に似ている*3と思います。私の主観だと、善光寺そっくり度は50%くらい

 

こちらも御開帳ということで、堂の前に御柱が立てられています。

また、入場料(500円)を払うことで、ふだんは入れない内陣を拝観でき、須弥壇の周辺をじっくりと見ることができました。

 

こちらは三重塔の裏手にある、霊犬・早太郎の墓。

早太郎の猿神退治は当地では著名な伝説で、『まんが日本昔ばなし』でもアニメ化されています。

 

光前寺に来たのはこれで5回目くらいでしたが、ここに早太郎の墓があるのは初めて知りました。

 

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ちなみに、光前寺の境内伽藍でもっとも古くて文化的価値の高い堂が、こちらの弁天堂

本堂の手前に池と島のような地形があり、その島の中に鎮座しています。

 

安土桃山時代に造られたもので、国指定重要文化財本堂や三重塔*4よりも価値が高いようです。

堂内には丹塗りの厨子がありますがそちらは室町時代のもので、附(つけたり)*5となっています。

 

仏堂としてはかなり小規模で、鎮守社として見ても決して大きくありません。建築様式や技法を見ても、特筆するほどのものがあるようには思えません・・・

文化庁のサイト*6によると“時代相当の手法を示し、比較的古建築の少ないこの地方では重要な遺構”とのこと。意地の悪い言いかたをすると、もし古建築の多い土地にあったら重要文化財になれなかったかもしれず、重要文化財の中ではやや格の落ちる物件(遺構)ということでしょうか。

 

以上、元善光寺と光前寺でした。

*1:とくに上田市-飯田市の移動は険しい峠越えがあり、峠道を避けると長野市まで迂回を強いられる

*2:むしろこちらが元祖のはずなので、リスペクトという言いかたはおかしいかもしれません

*3:光前寺は善光寺とはとくに関係のない寺院です

*4:両者とも江戸後期のもの。三重塔は長野県宝で、重要文化財より1ランク格下の区分。

*5:文化財の付属品のこと

*6:https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/155495、2022/06/23閲覧